村山信雄先生のキャリアを深堀!
「お前の顔は小動物向きじゃない」
大動物から始まった獣医師としてのキャリア
VETS TECHでは、数多くの著名な先生方とのセミナーを実施してきました。 そんな先生方がどのような勤務医時代を過ごし、どのような考えから今の選択をされたのか、意外と知られていないのではないでしょうか。 そこで今回、先生方のキャリアを勤務医時代から深掘り(ディグ)していく企画「ベッツディグキャリ~僕らの勤務医時代~」をお届けします。 勤務医の先生方のキャリア形成の参考になれば幸いです。
今回も前回に引き続き特別版として、JBVP年次大会の公開収録の模様をお届けします!
第6回は、「犬と猫の皮膚科」代表であり、アジア獣医皮膚科専門医の村山信雄先生にご登場いただきます。
前編では、「お前の顔は小動物向きじゃない」という衝撃の宣告から始まったキャリアの原点、大動物臨床を経て皮膚科の道を見出すまでの意外な変遷を紐解きます。
お前の顔は小動物向きじゃない。
大動物から始まったキャリア
- 先生の大学は帯広畜産大学ご出身ということでしたが、就職はどちらだったのでしょうか?
- 実は、大動物から始まりました。
- 1994年卒業なんですが、当時の帯広畜産大学は「散歩といえば馬の引き運動」という環境でした。 クラス40人中、半数は農業共済組合(NOSAI)へ就職し、小動物臨床に進むのはたった5人程度。僕も当然、大動物に進むものだと思っていました。
何より、アイスホッケー部の顧問(外科教授)に「お前の顔は小動物向きじゃない。」と言われたんです。

- それはどういうことですか…?
- 昔はもっといかつかったんですよ。もうギラギラしていて、なんかもう野良犬的にもう噛みつきまくってたんです。
- だからもう必然的に僕は大動物に行くもんだと思っていて、それで北海道農業共済組合。で、あの頃は、えっと、北海道の中のある特定の地区って決まっちゃっていたので、根室地区農業共済組合の根室支所で、日本の1番東で働いていました。
中学時代に愛犬を亡くし、「犬を治したい」という一心で獣医師を志した少年時代。 本来であれば、その想いのまま小動物臨床へ進むはずでした。しかし、帯広畜産大学という大動物中心の環境、そして何より教授から「小動物向きではない」と太鼓判を押されるほどのいかつい顔だったことから、村山先生を大動物臨床の世界へと導くことになったのです。
- 大動物での経験はいかがでしたか?
- 当時の大動物臨床は医療としておもしろいと感じなかったんです。
- 共済組合は保険点数で成り立っているので、どうしても「安い薬から使う」という経済性が優先されます。診断を突き詰めるよりも、まずは安い抗生剤から順番に使っていく……というルーチンワークで。極端な話、診断をしなくてもマニュアル通りに薬を使えば回ってしまうような部分があって。それでは獣医師としての知的好奇心が満たされなかったんです。
小動物臨床への転身
- 好奇心が湧かなかったことから、小動物への転身をされたのでしょうか?
- いまいち人間関係がうまくいかなかったこともきっかけです。
- 共済組合(NOSAI)には2年間在籍しました。その後、大学時代の恩師が開業するのについていく形で共済を辞めましたが、そこでは半年ほど働いてからまた職を変えることになりました。
その恩師との開業は、獣医3人を含む計5人でのスタートで、今思えば斬新な事業形態でしたが、一番下っ端だった自分はとにかく人間関係がうまくいきませんでした。当時は、一度辞めた共済に戻るということもできない時代でした。
その後、大動物から逃げるように、大阪に行きました。
- 実際に小動物臨床を始めてみて、大動物とのギャップに苦労しませんでしたか?
- 技術的なことより何より、犬猫を『ちゃん付け』で呼べないというのが最大の壁でした。
- 僕みたいな人間に「〇〇ちゃん」は似合わないでしょう? 今でも「〇〇さん」と呼んでいますが、その文化の違いが一番気持ち悪かったですね。
- 小動物臨床でやっていくぞとなった理由はありますか?
- 医療としての面白みは、やはり小動物の方にあると思いました。
- 僕がこの世界に入った頃は、業界全体がものすごいイケイケドンドンな雰囲気でしてね。アメリカやヨーロッパから専門医が来日して盛んに講演を行っているような時期でした。当時の僕には、そういった世界がものすごく華やかに映りましたね。

- 北海道で勤めた小動物臨床の現場はどんな現場だったのでしょうか?
- 大阪で1年修行した後、北海道の芽室町(帯広の隣)の病院に就職しました。
- そこが特殊で、「平日は小動物、週末は大動物」という二刀流を8年間続けました。
でもね、週末だけ診る大動物なんて、スキルが全く進歩しないんですよ。一方で小動物臨床はどんどん進化していく。「全てで100点を取るのは無理だ」と悟りました。
- そんな中、皮膚科で専門性を高めていこうと決断した理由は何でしょうか?
- 元々、大動物診療は「五感」が全てなんです。牛は喋りませんから。 その五感で診るというアプローチが、実は皮膚科と通じていると感じました。
- 皮膚は「生きている解剖学」であり、五感を使って推理していくのが面白かったんです。
ジェネラリストとして全てを完璧にするのは無理だけど、一つに特化すれば勝負できるかもしれない。そう考えて、皮膚科の道へ舵を切りました。
- ここまででもいくつか環境変化を経験された先生ですが、キャリアに悩む若手に伝えたいことはありますか?
- 何事にも失敗はないと思っています。失敗だとその当時は感じても、すべての経験があって今の自分がある。
- 今考えると、新卒で大動物に就職したことも、小動物への転向し大阪へ転職したこともあって、今があると思っております。
なんていうのかな、失敗なんかないよね。うん。それがあったから今があるっていう感じです。
無理して続ける必要はないんです。直感で「違う」と思ったら、素直に方向を変えればいい。それが結果的に、自分に必要な場所に導いてくれる気がします。
今の社会環境は厳しいので、精神的に潰れないためにも、友人でも家族でも素直に相談できる相手を持つことは大事です。ただ、相談はあくまで思考の整理。誰かの意見に従うのではなく、最終的な意思決定は自分でするべきです。悩んで相談している時点で、実はもう心の中では「次の方向に行きたい」と決まっていることが多いですからね。

さいごに
「小動物向きではない」という宣告から始まったキャリア。 大動物、小動物、そして皮膚科へ。自身の直感に従い、変化を恐れずに進んできた村山先生の「すべての経験に失敗はない」という言葉は、キャリアに迷う私たちの背中を力強く押してくれます。
しかし、皮膚科専門医への挑戦が始まったのは、なんと36歳からでした。 後編では、働きながらの過酷な専門医取得の裏側と、「迷ったら壁が高い方に行け」という村山先生流・仕事の流儀に迫ります。大動物のスタートから皮膚科のトップランナーへ。そのキャリア哲学を徹底深掘りします!

村山 信雄 先生
犬と猫の皮膚科 代表/アジア獣医皮膚科専門医
1994年3月/帯広畜産大学畜産学部獣医学科卒業
1994年4月/根室地区農業共済組合勤務
1996年8月/寺田動物病院(大阪)勤務
1997年8月/めむろ動物病院(北海道)勤務
2010年8月/アジア獣医皮膚科専門医取得
2012年9月/岐阜大学連合大学院にて博士(獣医学)取得
2012年10月/犬と猫の皮膚科設立
2016年3月/犬と猫の皮膚科クリニック開設