村山信雄先生のキャリアを深堀!
「36歳で家を売り、最低賃金へ」
皮膚科専門医の過酷な裏側
著名な先生方の知られざる勤務医時代を深掘りする「ベッツディグキャリ~僕らの勤務医時代~」。
「犬と猫の皮膚科」代表・村山信雄先生をお迎えしての後編です。
前編では、「お前の顔は小動物向きじゃない」という衝撃の言葉から始まった大動物臨床時代と、皮膚科の道を見出すまでの経緯を伺いました。続く後編のテーマは、36歳からの「専門医への挑戦」です。 働きながら英語論文を執筆し、アジア獣医皮膚科専門医を取得するというハードな日々。なぜ、あえて困難な道を選んだのか?
「迷ったら壁が高い方に行け」「すべての経験に失敗はない」 村山先生が語るこれらのキャリア哲学は、これからの働き方を模索する若手獣医師にとって、大きな指針となるでしょう。村山先生の仕事の流儀を徹底的にディグ(深掘り)します!
皮膚科専門医への道
- 実際にアジア皮膚科専門医を取得するのは大変だったんじゃないですか?
- 正直、非常に過酷でした。
- 当時、専門医制度を作るための先行組として選ばれたんですが、条件として「3年間で英語論文を6本(筆頭3本、共著3本)」書く必要がありました。
大学と違い、臨床現場のデータは不揃いです。3つ集めてやっと1つ論文になるかどうか。実際には10本以上書いて、やっと6本アクセプトされた感じです。
- 臨床業務をこなしながら、どうやって時間を捻出したんですか?
- 「その日には帰らない」と決めていました。
- 朝7時40分に出社し、診察は18時まで。そこから雑務をこなし、19時から深夜0時過ぎまでが論文を書く時間です。それを3年間続けました。週1回の休みも英会話に通い、その後ジョギングをするという生活でした。

- 皮膚科専門医として独立されて約10年。最も苦労したことは何ですか?
- 実は、知識や技術以上に「コミュニケーション」の壁にぶつかりました。
- 専門医の元に来る飼い主さんは「治るのが当たり前」という期待値で来院されますし、紹介元の獣医師への配慮も必要です。「治らない」というマイナスの感情からスタートする診察を、いかに前向きなものに変えていくか。 だから僕は当時、皮膚の勉強と同じかそれ以上に、医療面接やコミュニケーションの本を読み漁って勉強したんです。
25歳から35歳は「楽をするな」。迷ったら壁が高い方へ

- 最後に、これから長いキャリアを歩む20代、30代の獣医師へアドバイスをお願いします。
- 今の時代、獣医療業界全体は以前より厳しくなっています。だからこそ、周りに流されず「本当にやりたいこと」を追求してほしいですね。
- それは専門医でも、ジェネラリストでも、地方の獣医さんでも何でもいい。 ただ、一つだけ強く言いたいのはこれです。 25歳から35歳までは、絶対に楽をするな。
だからこそ、年齢を言い訳にしてほしくないんです。 僕は36歳から皮膚科の道に入りました。当時、建てたばかりの一軒家を売り払って、人生で一番安い給料で修行に入ったんです。まさに36歳からの再スタートでした。 その経験があるから、いつの時代でも、何歳からでも遅くはないと断言できます。
- 最後に一言お願いします。
- 悩んでいる時間はもったいないです。常にアンテナを張っていれば、必要なタイミングで必要な情報が天から降ってきます。
- その直感に従って、早く意思決定をして動くこと。そうすれば、より視野の広い、楽しい人生が待っていると思います。

さいごに
村山先生のお話はいかがでしたでしょうか?後編では、過酷な専門医取得の裏側と、技術以上に「人との対話」を重視する村山先生の診療哲学に触れました。
一見、遠回りに思えるキャリアでも、その時々の「高い壁」から逃げずに積み重ねた経験は、必ず将来の血肉となる。 「36歳からの挑戦でも遅くない」という先生の実体験は、キャリアの選択に迷う私たちに勇気を与えてくれます。
「悩んでいる時間がもったいない」 もし今、あなたが何かに迷っているのなら、村山先生の言葉を胸に、まずは一歩、直感に従って動いてみてはいかがでしょうか。そこにはきっと、新しい景色が待っているはずです。
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村山 信雄 先生
犬と猫の皮膚科 代表/アジア獣医皮膚科専門医
1994年3月/帯広畜産大学畜産学部獣医学科卒業
1994年4月/根室地区農業共済組合勤務
1996年8月/寺田動物病院(大阪)勤務
1997年8月/めむろ動物病院(北海道)勤務
2010年8月/アジア獣医皮膚科専門医取得
2012年9月/岐阜大学連合大学院にて博士(獣医学)取得
2012年10月/犬と猫の皮膚科設立
2016年3月/犬と猫の皮膚科クリニック開設
